里帰り Part.4 古田家長屋門とか織部灯籠とか。

今日は、現飯田家当主の大叔父にご挨拶&墓参り。以前墓参りは、ほぼ登山の用意が必要だったのだけどさすがに高齢化もあって里の方に改墓と相成って車で行けるようになった。

農業にまつわる話とか、親族にまつわる話などを3時間ほど、食事をしながらお伺いしてお暇する。築100年を越えてさすがに痛みが激しいが、治すのは次の代に託すようだ。画像は、無いのだけど、土塀を薄い紫にした当たり先々代の趣味が伺える。て、いうか子孫にお金もう少し残しておいてください。マジでw

ご機嫌伺いを経て市内観光へ。竹田は、江戸時代には岡藩と呼ばれた。殿様は、中川秀成公が初代となり、この中川家の後見人が古田織部守。現存する武家屋敷は、古田家長屋門というのは、この織部さんの義理の弟さんに当たる人の親戚。織部さんの義理の弟さんは、中川家家老として岡城内に邸宅をもらっていたはずなので。

なかなか立派な長屋門です。そのお隣が北条家。

北条家は、八代藩主の側室のご実家。この先を抜けて山側に昇るとキリシタン礼拝堂がある。元々は大友宗麟が、治めていた豊後と言うことでキリシタンが多く居た。



その足で田能村竹田の邸宅へ。

この竹田さんは、南画家で現代においては、たいそうな数の作品が重文となっている。竹田さんは、それほど裕福ではなかったけど、岡藩の要職に就いたりして「豊後国志」の編纂に携わったりで旅行に行ったりして絵を書いたりと・・・。そんな竹田さんが作った家がのこっているということで見学・・・っていうかここの魅力は、織部灯籠。で、受付で300円を払おうとおもって声をかけたところ「展示物ってなんにも無いんですが、良いですか?」と係の方。織部灯籠がみれればかまわないので結構ですと、言い切ると「じゃあ、タダでいいですよ。ご案内いたします。」とのこと。え?ありがたいのだけど、良いのか?と、思いつつ案内される。

灯籠自体は、崖崩れで一度壊れてしまったそうで今のカサと中台は、復刻とのこと。織部灯籠の特色が良くできてていいと思う。

茶室は、6畳敷きの書院造りで竹田さんは、煎茶を好んだとかという理由で風炉がない。当時の超が付くような流行な作りだと思う。いろいろ管理をされている方から話を聞いて面白かった。

大分で一番古い御菓子屋「但馬屋老舗」で一服。

築100年以上の商家とのこと。

やや暗くて渋い内装。社長の趣味かどうか分からないけど、かなりいいオーディオシステムだなぁっと思ってみてたらRoksanだった。

オレは、三笠野派。荒城の月は甘すぎて嫌いじゃないがそれほど食べたいと思わない。コーヒーは、なんか美味しかったなぁ。水かなぁ?豆かなぁ?

さて、最後の最後になったけど、この方をご紹介。

大日本帝国海軍広瀬武夫中佐の像。竹田市は、広瀬中佐の故郷ということで広瀬中佐を祀った広瀬神社もある。軍人としてどうだったかは、よく分からないけど、Wikipediaにあるエピソードで・・・

日清戦争後、捕獲艦鎮遠の清掃活動で「一番汚い箇所からやるものだ」と便所掃除へ向かう。躊躇する部下を尻目に、広瀬は爪で汚れを擦り落として部下に模範を示した。


とある。某社と某社と某社の幹部職員の方は、是非、この故事を踏まえて最前線で部下に模範を示していただきたいと思った。

今日の観光はここまで。明日は、日田へ出かけます。