チラシの裏 其の参拾弐ぐらい 今年を振り返る。

かなりチラシの裏なので・・・・
今年は、40年近く生きてなかなかショッキングな一年だったなぁと。1〜3月は、寝ずの番を延々やって3月末に退社という形で解放。その合間に東日本大震災。揺れるビルの中、夜中一人で居るときは、家族のことが気になって仕方なかった。東京に居て、幸運にも割と早く家に帰ることが出来て家族と夜を過ごせたことにはとても感謝した。

4月から無職になって少しずつだが嫌いな英語を克服して、6月の終わり、突然のめまいで救急車で病院に運ばれて1週間、中途半端な状態で街の病院、総合病院、そして、最後は大学病院のお世話になる。何度も病院に行って診察してもらうものの結局、倒れるまでなにもしてもらえないんだぁと思った。再び倒れるまでの一週間で味わった不安が、今も違和感としてフィードバックされ行動を妨げる。これと一生つき合うのは勘弁だ。頑張るつもりは無いが、つき合いたくないので別れ方を来年は、考えうと思う。

やっぱり、東日本大震災は、いろんなことを考えるきっかけになった。一つは、こんな悲しいことがあって良いのだろうか?New York Timesの中に「Japan ― Earthquake, Tsunami and Nuclear Crisis (2011)」というカテゴリーがあってアメリカで日本がどのように報道されているのかを垣間見ることが出来る。日本の報道が、如何にオブラートに包んで体よく報道されているかがよく分かる。悲しみが伝わってくる写真に目頭を熱くしてしまう。二つ目は、日本の指導者、与党、電力会社、その分野の権威と呼ばれる人達が如何に無責任な人種だと言うことを。去年、メキシコ湾で石油流出事故を起こしたBPもかなり無責任な対応をしていたが、日本の大企業も同じような対応なのかと驚いた。日本人とは、何か?日本人らしさとは何か?と感じた。人間社会におけるヒエラルキーで、上に行けば行くほど腐る様なDNAが存在するのかもしれない。万が一ではあるが、人間的に腐っていかなければならないのか?それとも上の立つ人間しか見ることが出来ない世界があるかもしれない。

ブログで何を言っても始まらないが、自分の心がけ次第で変わることもあるだろうって意味で来年は、いい年にしたいと思う大晦日、皆様もよいお年をお過ごしください。