南の島でお勉強 Part.28 13日目 Pearl Harbor

Yogaから帰ってプールで泳いで日光浴して学校。大体週2〜3回は、こんなスケジュールで学校へ。
学校へ到着するとスクールバスが待機。これに乗って今日は、Pearl Harbor、またの名前をWorld War II Valor In The Pacific National Monumentへ行く。

バスは、H1からアロハスタジアムを越えてPearl Harborへ。

World War II Valor In The Pacific National Monument・・・少々思い気持ちになって参りました。学生時代、近代史をいう科目を取得しましてルース・ベネディクトの「菊と刀」という本を教材に当時日本は、アメリカからどう見られていたか?サラリーマンに戦略という視点でなって戦争というものを客観視して考えることが歴史背景からこの開戦まで自分なりの解釈を持ち得ておりました。故にでしょうか?とても、重く感じました。はい。

ゲートから入って中をちょっと歩く。

一応史跡になるのかね?綺麗に整備されてる。

Pearl Harborで無くなった方の慰霊碑がある。

展示室には、BB-39「USS Arizona」の模型や帝国海軍空母「赤城」の模型が展示されている。

この作戦指揮者帝国海軍提督山本五十六に関する展示がある。すべてをちゃんと読んで理解しているわけではないのだけど、詳細な事前調査など特筆すべき点があるとかないとか。アメリカってすげーよなぁ、敵であってもその作戦がすばらしかったら評価する。日本は、鬼畜米英一本、だから、負けるんだよ。逆の意味で純粋であるのだけど、純粋も行き過ぎるとバカだと思う。

雷撃機の模型。九七式艦上攻撃機?よく見なかったから分からないけど、まあ、雷撃機ね。

この展示、第442連隊戦闘団に関する展示。この部隊は、日系人を中心に編成された部隊で戦死率が314%をこえ、アメリカ合衆国史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊とも言える。アメリカ合衆国上院議員・ダニエル井上氏は、この部隊の生存者。本当に移民の方達の苦労に対しては、頭が下がる。日本人は、ハワイでは割と親切に扱われる。その理由は、移民の方達が作った信頼とか実績とかのお陰でお金をばらまくからだけじゃないと思っていいんじゃないかと思う。そうした方達へ泥をかけるような行動は本当に日本人としては慎まないと行けないと真剣に考えてしまった。

こちらがBB-39「USS Arizona」の現在の模型。

極一部が海面に出ているレベル。

では、そのBB-39「USS Arizona」へ行く。艀船で5分ぐらい。運転しているのは、現役のアメリカ海軍の方で女性でした。

海だけ見ている分には、綺麗な場所。ちなみにPearl Harborは、その名通り昔は真珠がとれた。で、乱獲でとれなくなった上にアメリカ海軍の基地となったため海洋汚染が酷く今では、見る影もないそうな。

で、到着。

第三砲塔だったかなぁ?こちらの砲は取り外されて海洋警備要塞へ移築されていてない。

ここがメインマストになるのか?今でもオイルが少しずつ漏れているらしく重油の匂いが充満している。

星条旗が立っているのだけど、BB-39「USS Arizona」は軍籍としては無くなっている。

ハワイは、こういう側面がある。オレが初めてハワイへ来たときに案内してくれた人は、まず最初にここに連れてきてくれた。まず、日本人は、ここに来るべきだとその人は、言っていた。オレもそう思う。ほかに来た若い子達がどう思ったは、聞かなかったがもう一人いた上のクラスにいるご年配の方は、二人で重いよね・・・って話をこのあと居酒屋ですることになる。

未来を作る為には、過去は知るべきだと思う、出来れば可能な限り正しい過去を。