南の島でお勉強 24日目 Part.52 Hawaii's Plantation Village

次は、Hawaii's Plantation Villageへ。H1でWaipahuへ向かう。途中、こんな木が見える。

「この木、何の木、気になる木〜」で有名な木。モンキーポッドって木とのこと。このツアーのガイドさん、めちゃくちゃ面白いのでこのツアーおすすめと思った。

わかりにくいのだけど、マキキの丘。今は、上までバスは行けないそうだ。Hawaii Five-0でも登場するので行ってみようかと思った調べたがちょっと面倒だったので諦めた。

さて、今回訪れたHawaii's Plantation Villageは、日本人なら是非行ってほしい場所。たぶん、娘さんのためにもう一度行くと思う。

ご存じの方も多いが、Hawaiiは移民の島。その理由は、サトウキビプランテーションの労働者として雇用された。日本を始め、中国、韓国、フィリピン、そして、ヨーロッパの人達がやってきた。ヨーロッパの人達は、短期で数年で帰国するの対して日本を含めてアジアの国々の人達は、移住することになった。当初の環境は、想像を絶する物でハワイにやってきてわずか数年で何らかの理由で命を落とす人も多々いたそうな。ここは、そういう歴史を見ることが出来る場所。

この国旗の国から移民の方達がやってきた。

Waipahuは、ハワイの言葉で「水がわき出る」という意味らしくそのためここには、ハワイで1〜2を争うプランテーションがあった。詳しい話は、このあたりに出ているのでご参考に。

園内を歩くに当たって一番最初みるのがこの慰霊碑。

そして、このトンネルを抜けると移民の歴史を順にあることが出来る。前を歩いているのは、ガイドのKenさん。日系3世でご自身は、University of Hawaiiで歴史を専攻している最中にベトナム従軍、卒業後アメリカ海軍へ。今は、引退してボランティアガイドをしているとのこと。息子さんは、お医者さんとか。

この部屋が、ポルトガル人用居住区。

ベットもあって綺麗にみえるっぽいけど実際は、もうちょっと酷いらしい。

左の小屋が炊事場で右が、日本人長屋。

洗濯機。

実際のところは、移民というのは名ばかりで半分奴隷に近い扱い。ムチを持った管理者、呼ぶときは番号で。それを斡旋していたのが三井物産とか。ハレクラニの現在のオーナーが、三井不動産っていうのは、何の因果だろうかと思ったりする。

何時の頃かの移民団の様子だろうか?

日本とアメリカは、「日米紳士協定」を締結する。これは、結婚のために渡米することを認める物。これを写真結婚というらしい。これは、1920年禁止されるまで続いた。このKenさんのおじいさんは、これで結婚したそうな。

ちなみにKenさん曰く、「おじいさんは、写真の女性を待ったのだけど来なかった。その変わりに写真の女性の妹さんが、やってきた。おじいさんは、ショックを受けて一晩泣いたらしい。でも、お姉さんの代わりに来た妹さんは、16歳。異国の土地に一人でやってきた心細さは、自分より辛いだろうと思って結婚した。死ぬまで仲睦まじく過ごしたから正解だったんでしょうね。」

ちょっと、うるっと来た(´;ω;`)ブワッ で、続く。

フィリピン人の寮。フィリピンは、アメリカのこの紳士協定が結べなかった。その結果、フィリピン人は、独身のまま亡くなることが多かったそうな。

で、コンロ。コールマンのコンロと作りが似てると思った。

神社。写っている人は、近所のHigh Schoolの生徒さん。ボランティアで清掃とのこと。

床屋さん。このあたりは、アメリかな雰囲気がある。

日本語で言う万屋さん。

ハワイアンの集会所。

タロイモ畑。こうしてみる分には、日本のちょっとした田舎の風景と見まごう感じだ。

ここから水がわき出るらしい。

Kenさんのお話は、とっても心に残った。ここに書いたのは、本当に少しだ。ハワイで日本人が、親切にされるのは、お金を落とすだけじゃなく、言葉に出来ない移民の方達の努力で少なからず敬意を持って接してもらっているような気がする。そんなことをとても感じる場所だった。ちょっと不便な場所にあるけど、また、是非行きたいと思った。